どうも。saas事業部のいっきです。
初の採用ブログということで。
入社2ヶ月の僕としては、2ヶ月前、面接前にこのブログを読んで
ワクワクしてたのを思い出します。
んで、今回は<自分の境界線>について書かせて頂こうと思います。
社会に出ますと、様々な人に出会うわけで。
色んな人と言いながら、実は、他人と自分との違いは些細なもの。
「あの人と私は、価値観が違うから・・・」
ってなコトを言っても、この差ってわりとなかったりするわけで。
街のド真ん中で「甲子園!甲子園!」って、おっきい声で叫びながら
バットを素振りするおじさんがいたら、変わってる人じゃないですか。
「うわっ!なにあの人」 みたいに。
でも、この行為って誰でもできること。
物理的にはね。バットを振りながら叫ぶだけ。
まぁ、ほとんどの人はやらない。
上記の行為はあくまでも一例で。
とすると、まぁ、せいぜい 「違う価値観」「考え方」と言っても、
その枠は 案外小さなものかと。
その小さい誤差が、超大事だってコトは重々承知だけども。
人間を構成する要素ってのはどんな人でも同じだと思うし。
喜び・怒り・憎しみ・物欲・性欲・恐れ・権威・愛されたい
・・・とかそんなもの。
その要素の構成比率が、ちょっとだけ違うだけ。
どこに重きを置いてるかの違いだけ。
という事を前提とすると、
「自分はガンジーになりたいんだ!」と決意すれば、
極めてガンジーに 近い行動をとり考え方をする。
って事も可能なわけで。
これはつまり
「自分は岩田になる!」と決意すれば岩田に、
「自分は西川になる!」と決意すれば西川になれるのではないか。
逆もまた然りで、 岩田や西川やガンジーは自分になれる。と。
つまり、何が結論かというと。
そのゴミクズみたいに小さい誤差をめざとく見つけ出して、
それに心奪われて 、怒ったり、恐れたり不快になっちゃいかん!
って常々、思っているわけです。
その不快を感じた要素は、自分にも間違いなく配合されてますから。
何が他人で、何が自分やら。
すべての人の中に、自分がいて、
自分の中に、すべての人がいるってもんです。
他人を傷付けるということは、自分を傷つけるということ。
他人を気遣うということは、自分を気遣うということ。
他人を認めるということは、自分を認めるということ。
わかっていても、なかなかできない事だけど。
つまり、それは他人も同じ思いでいる、ということ。
そんなお話でした。